For All Live Unto Him演奏に向けて

最初に

 Sandstrom氏の訃報を聞いて、軽い感じの演奏会告知やれないな、と思ってしばらくブログ投稿を止めていましたが、やはり今回僕にとって'特別な意味のある'演奏会になるな、と思ったので、それだけは残しておこうと思い、ブログを書きます。
 
 始めにですが、僕は中学校から合唱をやってきていて、気がついたら20年を超えてるんですが、 そのうちノースエコーで歌っているのは7年くらいになります。その間ほとんどコンクールの自由曲ではサンドストレーム作品を演奏してきています。更に遡ると大学の時も、3曲演奏しています。全部の楽譜を集めるとこんな感じになります。形やサイズが色々違うのが、今思うと面白いですね。

最初のSandstrom作品

  最初に僕がサンドストレーム作品に触れたのは、Lobet den Hernで、2群合唱で、前半ひたすらLobetを連呼しまくる何というか、特殊な曲です…。と当時は思っていました。後々サンドストレーム作品を演奏する中で、あ、これが彼の作風なんだな。と気がつくまでは。
 当時、僕は学指揮で2群合唱の片側の下降りを最初していました。今にして思えば、それが効率良かったのかやりやすかったのかはよく分かりませんが、メインの指揮者が合唱団の後方に立ち、サブの指揮者が1/2コーラスそれぞれの前に立ち、指揮をするという形でした。
 なんでこんなことをやっていたかというと、この、Lobet den Hernと言う曲は、ミニマルミュージック的な感じでLobetを繰り返し歌うのですが、リズムが1/2コーラスそれぞれで全然違うんです。しかも、歌詞は前述の通りLobetしかないので、一度落ちると永遠に復帰できないと言う難解な曲だったのです。
 当時、一生懸命法則性を見つけてまとめ、ABBA, ABBA, BAAB, BABA...と覚えたのを未だに覚えています。
Lobet den Hernの楽譜、下の方に規則性(AB)がひたすら書いてある
  で、端的に言うと、当時この曲好きじゃありませんでした。と言うか、嫌いでした。"歌えるようになる"、"通せるようになる"という目標は立てられるし、それに向かって走るのは出来るんですが、何をどうしたら曲を理解したことになって、上手に歌えたことになるんだ?と言うのが全然分からなくて、モチベーションが超下がっていました。それは、今思えば当時の個人としての演奏の完成度に表れていたなと思います。残念。

Laudamus teとの出会い

同じ年に、Laudamus te と、En ny himmel och en ny loadの二曲もやっています。このうち、Laudamus teとの出会いが僕の中のSandstrom観を変えてくれました。
 と言うのは、Laudamus teって、歌詞が
  • Laudamus te.(われら主をほめ)
  • Benedicimus te.(主をたたえ)
  • Adramus te.(主をおがみ)
  • Glorificamus te.(主をあがめ)
だけで構成されているんですが、これって、ミサ曲のGloriaの中の歌詞の抜粋なんです。イエスが産まれたときに表れた天使によって歌われた歌の歌詞なんですが、基本的に、Gloriaと言う曲は、他の作曲家に書かせると、ハイテンションな曲になります。例えばこんな感じ。
それはそうなるのは当たり前で、歌詞の内容が、

天のいと高きところでは神に栄光がありますように。
そして地上では、平和が
善意の人々にありますように。

私たちはあなたを賛美します、
あなたを賞賛します、
あなたに祈りを捧げます、
あなたに栄光がありますように。

私たちはあなたに感謝をささげます、
あなたの大きな栄光のゆえに。

参照 

って言う感じなんです。神様万歳!マジでありがとう!これからも全力でリスペクトっす!って歌詞なのです。

でも、Sandstromに書かせると、この仕上がり。
何この落差!?ってなりません?いや、最初、Gloriaの歌詞くらい結構前から知っていたので、違うLaudamus teの出展があるのかと最初思っていましたよ。僕は。

で、こういうことが何故起こってしまうかというと、彼の祖国のスウェーデンの歴史があるんですね。サンドストレームは1942年産まれです。つまり、第二次世界大戦中に産まれたと言うことです。そして、彼が生きてきた時代、スウェーデンはバルト海に位置し、と言うか、ソ連の近くに位置していて、西側諸国と東側諸国の狭間に立たされてきた国です。この辺りは、バルト三国とも似ているかなと思います。
 スウェーデンは中立国という事になっていて、多分身の回りで戦争で人が死ぬ、と言うようなことにはあまりなっていなかったのかな、と予想しますが、本当の意味で平和な時代を過ごしたとは言えないのでは無いかなと思います。

 そんな時代を生きてきて、
「神様に祈っても、何も救ってくれないのでは?と言う悲壮感がLaudamus teの曲に現れている」 と言う解釈を聞いたときに、なるほど!そうだったのか。と、凄く納得しました。Lobetのように、ひたすら主を褒め称える曲も、同じ考えなのかもな。と。


ノースエコーでの演奏

数年して、名古屋に来てノースエコーに入団し、またSandstrom作品を演奏するようになりました。最初はLobetのようなミサ曲でしたが、途中から、Four songs of Love, A new song of loveのような、愛をテーマにした曲を扱うようになりました。作品としては、2008年以降の作品になります。65を超えてからの作品ですね。

彼の作風だし、特殊なことでは無いのかもしれませんが、彼のsong of loveシリーズは、歌詞の盛り上がるところと、曲の盛り上がるところがちょっとずれてる感じがするし、盛り上がるところの和音が全然"純愛!"って感じの音じゃ無いんですよね。60過ぎてどんな恋愛してんねん!この紆余曲折感はやばい!って思っていましたが、その音の中には、愛と言う中に、良いことも悪いことも含めたものすごく深い物を感じ取っていたのかもしれません。

と言うのは、スウェーデン後の訃報のニュースに、「彼の妻が伝えた」
と言う文章があり、また、ノースエコーとしても、彼の奥さんとのつながりが垣間見えるチャンスがあったりして、愛する奥さんとの長い付き合いを振り返った彼なりの恋愛観?が含まれていたのかな?と思います。

そして委嘱へ

そして、今回満を持してコーラスコレクション17で、彼の委嘱作品を世界初演します。
今、彼が病気の時に作った作品であり、恐らくタイミング的に死も覚悟したタイミング、また彼の友人が作詞をした曲であり、その有人もおそらく病気のことを知っていただろうと言うこと。それを踏まえた上で、

For All Live Unto Him と言う作品が出来たこと

それをこのタイミングで世に送り出すこと、それに立ち会えること、全てが意味があって特別なことだと思っています。中身の解釈とかは、当日まで公開できません。でも、読み込んでいくとものすごく深い。

人の不幸を使って演奏会を告知しているような感じになってしまうと嫌だな、と思っていましたが、伝えたいし、是非聞いて
貰いたいし、来て貰いたいので書きました。まだ、間に合います。

6/22(土) 16:00~、お時間ある方、是非お越しください。
チケットあります。この時間を共有できたら嬉しいです。
ちなみに、僕と面識無いしお金の受け渡しできないよって言う方、方法あるので、公式Twitterにコメントください。もう、定価じゃ無くて全然良いです。

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